BBB MAGAZINE
CREDIT
-
- ライター
- 執筆
藤原かんいち
-
- 撮影
藤原かんいち
20歳からバイクとの付き合いは40年以上。4度の日本一周、2度の世界一周など、そのほとんどの旅を小さな原付バイクで実現してきた。バイク旅は僕の世界を広げ、間違いなく人生を豊かにしてくれた。
これまでの旅が実現するまでのストーリーや思い出、バイク旅での出来事、さらに40年間の世の中の変化など。僕の半生とバイク旅を年代と共に振り返りながら『バイクと旅した40年物語』として語り綴っていきます。
25歳から始まった原付世界5大陸の旅。その第二弾がホンダゴリラによる世界一周の旅。アフリカの旅は単独だったが、次のヨーロッパ一周は当時の婚約者ヒロコが同行。フランスのパリでダックス70を購入。ゴリラとダックスの珍道中となった。フランスをスタート、北上を続けヨーロッパ最北端のノールカップまで行った。その後、南下、ポーランドや当時のチェコスロバキア、ドイツ、スイスなどを走り、オーストリアまでやってきた。今回はその続き。
第14回:待っていた想像もしなかった結末
僕たちが訪れた1991年は、1989年に始まった民主化(いわゆる東欧革命)から2年しか経っていなかったので、外国人旅行に対する厳しい規制がまだ残っていた。東欧の国ハンガリーに入国するときも緊張したが、人々はとてもフレンドリーだった。町で僕たちのバイクを見つけると「どこから来たんだい?」「どこまで行くの?」など、気さくに声をかけてくれる。たわいもない会話だが嬉しかった。
ドナウ川に沿って広がる首都ブダペストは、ヨーロッパでもっとも美しい街のひとつとして知られている。連泊をして観光する。出発の日は運悪く雨、ツイてないことにエンジンの調子が悪くなり、徐々にスピードが出なくなった。これは困った。駅の軒下にゴリラを移動させて各所を点検するが、原因がわからない。もうバイク屋へ行くしかない。雨の中でようやく整備工場らしき場所を見つけた。中を覗くと自転車とモペットしかない... 大丈夫かな?と思いながら中へ入っていった。
作業をしていたヤンキー風の兄ちゃんがゴリラを見始めた。状況を説明すると、くわえ煙草のまま、ゴリラをいじり始めた。おいおい大丈夫か? 心配しながら見ているとドライバーとレンチだけで魔法のように直してしまった。スゴイ。一転、尊敬の眼差しになる。ついでにゴリラのヘッドライトが手に入らないことを相談すると、他のライトを持って来て、合うように作ってしまった。なければ自作すればいい。当たり前の感覚。それはまさに豊かになった、いまの日本人が忘れてしまった感覚だった。とにかく助かった。
料金を聞くとお金はいらない。その代わり日本の最新バイクのポスターが欲しいという。確かにここに貼ってあるポスターは大昔の物ばかり。バイクのポスターなど、日本では捨てるほどあるのに、東欧ではきっと貴重品な存在なのだろう。帰国したら送ることを約束。バイクも完璧に直った、さあ、ルーマニアへ向かおう。
ルーマニアへ入ると道はデコボコ泥道に変貌した。人々の身なりも質素で貧しそう。民家も半分崩れた建物が多く、まるで廃墟のよう。道を移動しているのは自転車と馬車ばかり、まるで中世時代にタイムスリップしたよう。また10月だというのに気温は一桁まで下がった。手足が痺れるほどの寒さに震えながら走っているとカフェを見つけた。暖を取ろうと思い店に入ると、内も寒い。暖房がないの? ウソだろ。それなら温かい飲み物と思い、ホットコーヒーを注文すると直径5cmもない小さなカップが運ばれてきた。口を付けるとコーヒーは生ぬるく、一口分入っていなかった。その光景に目を疑った。これがルーマニアなのか...
夕方、町の中級ホテルに宿を取った。手続きを終えて部屋に入ると、寒い。まさか、ホテルまで? 暖房を探すがどこにもない、シャワーで温まろうと思ったがお湯が出ない。天井には豪華なシャンデリアが下がっているが、点いている電球は数個だけ。これがルーマニアの厳しい現実。長く人々を苦しめた恐怖政治、チャウシェスク政権の傷跡は深い。ルーマニア3日目、寒い寒いと思っていたら、ついに雪が降り始めた。10月に平地で雪とは...。周りは貧しそうな家ばかり、寒さが一層身に染みる。僕たちは逃げるようにブルガリアへ向かった。
ブルガリアに入れば寒さも食の事情も良くなると思っていたが、大きな変化はなかった。ただ嬉しい出会いがあった。国道沿いの小さなレストランで食事をしていると、隣のテーブルの人が話しかけてきた。ブルガリア語なのでよくわからないが「私の家へ遊びに来ないか?」と言っているようだった。嬉しい誘いについて行くと、レンガ造りの小さな家で美人の奥さんと小さな女の子が待っていた。家の中は質素だが、とても温かかった。しばらくすると自家製のお茶や果物、マッシュルームなどを持って来てくれた。どれも素朴な味でおいしかった。
男性の名前はユリアン。英語が通じないので身振り手振り、さらに絵に描いて、何とか気持ちを伝えた。お互いに理解したい気持ちが強いからか、不思議とわかり合えた。そこで僕とユリアンさん、ヒロコと奥さんが同じ歳であることが判明。一気に距離が縮まった。短い時間だがユリアンさんのお陰でいい思い出ができた。本当にありがとう。心からそう思った。
ブルガリア、トルコ国境は深い山の中にあった。国境を越える車の姿はなく閑散としている。トルコ側の出入国事務所へバイク移動すると、暇を持て余していた係官が飛び出してきた。入国手続きが終わっても、バイクで旅する日本人に興味津々のようで、何だかんだと話しかけてきて離してくれない。さらに初めて見るバイクに興奮。ヒロコのダックスに跨ると、勝手に走り出した。おいおい、ウソだろ~。辺りをグルっと一周すると「グッド、グッド!」と満面の笑顔。困ったもんだ。
トルコ最初の町は光り輝いていた。通りには外灯が光り、どの店も明るく、眩しいくらいだ。歩いている人も多く、みんな楽しそう。とにかく活気に満ち溢れている。東欧の町はどこも人が少なく、それに暗かったので、余計そう感じる。レストランに入ると肉や野菜を使った料理がいっぱい並んでいた。どれを食べるか迷うくらいだ。興奮しながら注文すると、狂ったように食べまくった。明かりがあること、温かい飲み物や食べ物があるのは当たり前じゃない、とても幸せなことだと身をもってわかった。
地中海に出ると東へ向かった。目指すは、ヨーロッパとアジアの交差点、イスタンブール。いつか行ってみたいと思っていた憧れの街。「飛んでイスタンブール、光る砂漠でロール♪」鼻歌と共に気持ちは高まるが、トルコの車は運転マナーがとてつもなく悪かった。メインルートは大型トラックが独占状態。まさに弱肉強食という感じで、トラックは僕らの後ろにピッタリ付くと「早く走れ!」「邪魔だ、どけ!」クラクションの嵐。ギリギリのところを強引に追い抜いて行くので、生きた心地がしない。危うくぶつかりそうになり、路肩に逃げたこともあった。これまで訪ねた国の中で、運転マナーの悪さはトルコがダントツ、ナンバーワンだった。
イスタンブールではブルーモスクやトプカプ宮殿を見学した。そのあと旧市街と新市街を繋ぐガラタ橋をふたりで散策、最後に橋の近くの広場で名物の「さばサンド」を食べた。食べる前は「魚のサンドイッチってどうなの?」と半信半疑だったが、焼魚とパンの相性は抜群で、なぜ日本で売っていないのか?不思議に感じるほどだった。トルコの地中海沿いは気候も温暖で、出会う人も気さくな人が多かった。面白いのが、少し話をするとみんなチャイ(紅茶)を飲まないか?と進めてくれること。トルコ流のおもてなしなのだろう。1日に3回・4回もご馳走になることもあった。さらに物価も安く、食事もおいしい。トルコの10日間はあっという間に過ぎていった。
ギリシャのサモス島。小さな旅行会社へ行き翌日16時発のアテネ行のフェリーチケットを依頼すると、なぜか06時発のチケットを手渡された。間違えていると思い、確認すると「いや、あなたは6時の船と言ったわ!」と切れ気味に言う。いやいや、壁に書いてある16時の便って言ったよ。もし16時の船に変更するなら50%のキャンセル料を払えというではないか。えっ、間違えたのはそっちなのに!?それはないだろう。言った言わないの問答。隣の店の人も参戦してきて、大激論。お互い怪しい英語なんだけどね。警察まで来たが、結局、チケット発行されてしまったので、こっちが泣き寝入りとなった。僕の40年間の旅の中で、これほどもめたのは初めて、最も熱くなった出来事のひとつとして記憶に残っている。
船で12時間かけてアテネへ。日本でも有名な観光スポット、アクロポリスの丘に立つパルテノン神殿を訪ねた。驚いたのは郊外にあると思っていたのに、町のど真ん中にあったこと。また周辺にお土産屋がいっぱいありまるで日本の観光地のようだった。オシャレなものがたくさん売られていて、ヒロコはかなり楽しそうだった。丸1日かけてアテネを観光してから港町パトラへ移動。再びフェリーに乗り、イタリアへ向かった。
人生で一番揺れたフェリー。ふたりともげっそりやつれた顔でイタリアに上陸した。走り出すとひどかった運転マナーはまともになったが、別の問題が起こった。それは正午から午後3、4時まで続く、長い昼休み。この時間はスーパーマーケットから商店、ガソリンスタンドまで閉まってしまうのだ。食事はもちろん、ガソリンタンクが小さいダックスは何度もガス欠寸前に。その度、ゴリラのガソリンをダックス補充して何とか乗り切った。
ところがある日、運悪く2台同時にガス欠になってしまった。目的のフィレンツエまで残り50km。ガソリンスタンドの前で昼休みが終わるのを待っていると、通りがかりの人が「今日はもう開かないよ!」と言う。そんな、ウソだろー。仕方なく近所の修理工場や車の人にガソリンを売って欲しいとお願いするが、みんな「ノーノ―」と両手を広げるばかり。1リットルでいいのに、何て冷たいんだ。フィレンツエでは日本の友人と会う約束をしているので、なんとしても行きたい。どうしたらいいんだ?
絶望に打ちひしがれていると、ガソリンスタンドの人がやってきた。藁をもすがる思いで事情を話し、頼み込む。何度も何度も断られるが、諦めずに食い下がる、最後は「わかったよ」と諦め、売ってくれた。「グラッツィエ(ありがとう)」。この時、ふとアフリカで同じようにガス欠になった時のことを思い出した。その時は村中の人が心配してくれて、一緒になってガソリンを探してくれた。助け合うことが当たり前のアフリカ。もちろん個人差もあるし、国や大陸、人種でくくることはできないが、複雑な気持ちになった。
日本の友人から手紙をもらい、ヨーロッパ旅行でイタリアへ来ることがわかっていたので、2週間前に「11月22日の午後4時。フィレンツエの中央郵便局前で待ち合わせしよう」と手紙に書いて送っていた。当時はメールもなく、旅行中は返事を受け取ることもできない。来られるかどうかわからないが、2時間遅れの6時に中央郵便局に到着した。友人を探すが見当たらない。さすがに無謀な約束だったかな... 諦めかけた時、見覚えのある顔が現れた! 凄い、奇跡の再会だ。4時に来たけどいなかったから、もう一回来てみたという。会えてよかった。さらに町で出会った日本人旅行者も加わり、夜は4人でホテルの部屋に集まって大宴会となった。まさかの再会、久しぶりの日本語、喉がかれるまでしゃべりまくった。
イタリア北部のポー平原に入ると辺りは深い霧に包まれた。走れど走れど霧の中。日本だと山を下りれば霧が晴れるのだが、ここは平原。晴れる気配がない。おまけに気温は5℃と激寒。ハンドルを握る手がブルブル震えている。結局、霧は地中海沿いのジェノバまで500km以上続いた。海外は霧までスケールが違っていた。
地中海沿いを走りフランスに入国。西ヨーロッパの国境はパスポートチェックもなくほぼフリーパス。「ボンジュール」「メルシィ」聞きなれたフランス語に、戻ってきたことを実感する。フレジュスという町のユースホステルへ行くと、驚くことに日本人ライダーがふたりもいた。ひとりは4日前に出会ったヨーロッパ一周中の中村さん、もうひとりはこれからアフリカへ向かう近藤さん。ライダーあるあるで盛り上がる。夕食は中村さんが持っていた日本製のカレーを4人で作って食べる。日本語でおしゃべりをしていると、まるで日本にいるような気分になる。吞み仲間を見つけたヒロコは上機嫌。最高に楽しい夜となった。翌朝、みんなで住所交換。お互いの旅の無事を祈り、それぞれの方向へ走り出す。またどこかで会えるといいな。
フランス一の港町マルセイユ。1年半前にこの港からアフリカ大陸へ渡ったことを懐かしく思い出す。以前泊まったユースホステルへ行き、宿泊手続き。バイクの荷物を部屋へ運ぼうと思い外へ出ると、ダックスしかない。えっ、ゴリラは? どういうこと? 状況が把握できない。盗まれた? まさかの事態に背筋が凍った。柵に囲まれた敷地の中なので、すっかり安心していた。すぐにダックスで周辺を探し回った。走っても、走っても、ゴリラは見つからなかった。警察に盗難届け。一抹の望みを持っていたが、マルセイユは盗難が多いことで有名。1週間待っても出てこなかったことで、きっぱり諦めることにした。ヨーロッパの旅はここまで。ヒロコのダックスを地元のバイク屋へ売却すると、帰国の途についた。
まさか盗難でヨーロッパの旅が終わるとは、夢にも思わなかった。ゴリラはもちろんだが、毎日記録していた日記帳と撮影済みのフィルムを失ったことが悲しかった。ただ、かなりショックを受けているはずなのに、命があればいくらでも旅はできる。ゴリラだって日本へ帰れば買える。気持ちは不思議なくらい前向き。自分が驚くほど強くなっていることに気が付いた。
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