BBB MAGAZINE

  • MotorCycleDays

    2015.03.19 / Vol.19

    僕のツーリングパッキングスタイル&装備品の歴史(90年代~2000年代)

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前回は本格的にロングツーリングを始めた80年代中頃から、いくつかの旅を経て90年にゴリラで世界一周の旅まで、初期の頃の装備品を紹介した。昔の写真を引っ張り出して眺めながら「こんなダサい恰好をしてたの!?」と笑ったり、原稿を書きながら「うーん懐かしいなぁ」と昔を思い出したり、いい時間を過ごした。それにしても...ツーリングを初めた頃は笑ってしまうほど無知で、無謀だった(笑)。それが若さというものなんだろうけどね。でもいろんな失敗や実体験から色々なことを学び、装備品選びも人間としても少しずつ成長してきたことがわかり、まるで自分史を見ているようだった。さて、今回はその続編。90年代以降のお話、果たして装備品はその後の10数年でさらにどんな風に変わって行ったのか!? 時代背景と共に追って行く!

【1】コンパクト&シンプルを極めた、スクーターでアジア横断時代1994年

パキスタンの砂漠越え
荷物を減らしバイクへの負担を減らすことが、旅の成功に繋がってくる。

モトラでのオーストラリアの旅から始まった原付6大陸の旅だが、「原チャリ」と聞いて一般の人が思い浮かべるのはやっぱり「スクーター」。やっぱりスクーターでも海外を走らないと原付で世界一周も説得力がないな、ということでホンダのディオによるアジア横断を計画した。もちろん目的はそれだけじゃないけどね。準備段階で車体の構造など確認してゆくとほぼプラモデルだった。こりゃ耐久性にはかなり不安があるなと思い、できる限り荷物を減らすことにした。
そこで思い切ってキャンプ用品をカット。アジアならば人口も多く町も多い、きっとホテルもいっぱいあるだろうということで、全部ホテル泊で行くことに決めた。テント、寝袋、マットなどをなくしたことでかなり軽量化ができた。さらにアジアは物価が安くおいしい食べ物も多いので、自炊道具もカット。さらにコッヘルやコンロ、食料などがなくなったことで、全荷物をバック2つとザックに納めることができた。これはかなりコンパクト。ちなみにバックのひとつはリアキャリア、もうひとつはメットインスペースに収納した。メットインスペースは雨に濡れないし、盗難にも遭い難い、さらに重心が低いので安定感がある、ツーリングには最適の荷物収納スペースだった。

ただ同サイズタイヤは当時のアジアで売られていないため日本から持参、2本のタイヤをフロントキャリアに巻きつけて走っていた。工具もドライバーとレンチ、チューブレスのパンク修理道具ぐらい。これまでの旅で最も軽量となった。 さらにこの旅ではバイク専用のウエアはなし。過酷な砂漠地帯やジャングルなどのオフロード走るわけではないので、いかにもバイクに乗っていますという雰囲気の過剰なウエアを避け、カジュアルな服にした。上はアウトドア用のフード付きパーカー(ゴアテックス製)、下は綿のカーゴパンツ、そしてトレッキングシューズ。ヘルメットも初めてオープンフェイスのアライのSZにした。これが視界良好でとてもよかった。 こんな風に装備品も肩の力も、いい感じで抜けるようになってきた。ある意味、いろんなことに余裕がでてきた時代。30歳になったからね(笑)。そういえば結婚後の初めて海外ツーリングがアジア横断だった。

【2】原付世界6大陸の旅完結。北南米縦断ふたり旅時代1997年~1999年

スーパーカブはフロントのカゴもあるので荷物をたくさん積むことができた。
スーパーカブは荷物を載せることが前提に設計されているので安定していた。

1987年に始まった原付6大陸の旅も最後。ラストステージ地球縦断(北南米縦断)は妻のヒロコとふたりで実現させることにした。バイク初心者でも運転しやすく、さらに頑丈なバイクということでスーパーカブを選んだ。さらに荷物の積みやすさ、燃費の良さ、現地でパーツ供給が可能なことなど、カブはツーリングバイクとしての利点も多かった。アメリカ、カナダなど物価の高い国があるのでキャンプは必至、キャンプ用品と自炊道具は必需品となった。嬉しいのはふたりなのでテントやコンロ、コッヘルなどいくつかのアイテムが共有できること。テントはダンロップ製、キャンプ滞在の快適性を考慮して少し大きめの4人用にした。マットはゴリラで世界一周の終盤から使うようになったサーマレスト(アメリカ製)。これはウレタンマットの3分の1くらいコンパクトになる上、クッション性も高い画期的なマット。それ以来必需アイテムになった。
他に面白いところでは高度計。アンデス山脈では標高4000m以上の高地を走る予定だったので、状況判断するために持参した。いまならGPSなど確認方法は色々ありそうだが、当時はアナログ時代。気圧を計り標高を出すタイプで電池は不要だった。さらに川などの生水をポンプで吸い上げて濾過して飲料水にする、アウトドア用のポータブル浄水器(カタディンミニフィルター)も持参した。井戸水や川などしかないカナダ北部で活躍した。カメラはまだフイルムで、一眼レフ(ニコンnewFM2)とコンパクトカメラ(ビックミニ)の2台体制だった。ガイドブックは「地球の歩き方」と「ロンリープラネット」を持っていた。当時はまだ充電式の電気製品はひとつもなかった。

ウエアは引き続きシンプルだった。ゴツゴツのオフロードウエアは卒業(笑)。ライダーというよりはバックパッカーのようなスタイルで、そのままの格好で町を歩いても違和感のない服装を着ていた。ちなみに上はアウトドア用ジャケット、下はデニム。靴は山でも町でも無理なく歩けるトレッキングシューズだった。 ヘルメットは前回から被ったまま飲んだり食べたりできるオープンフェイス、今回はアライヘルメットSZ-βを使用した。さらにこのヘルメットは内装が取り外せて洗えるのが、長期ツーリングライダーとってはありがたい機能だった。レインウェアは防水、防風、透湿性のあるゴアテックス製を使っていたが、素材はかなり柔らかくなり着やすくなった。またゴリラで世界一周の終盤から使い始めたアイテムのひとつにクラウザーのトップケース(ドイツ製)があった。これが雨に強く、施錠もできる。キャリアに着けたまま荷物の出し入れができるなど利点が多く、とても便利だった。前回のディオには付けられなかったが、今回の旅で復活。以降定番アイテムのひとつになった。さらにラフアンドロード社のサイドバックを取り付ける。前回に比べると荷物が積みやすいこともあり、かなりの重装備となった。

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