BBB MAGAZINE
CREDIT
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- ライター
- 執筆
藤原かんいち
-
- 撮影
藤原かんいち
20歳のとき中型二輪免許を取得。今年60歳になるのでバイクとの付き合いは40年になる。4度の日本一周、2度の世界一周など、そのほとんどの旅を小さな原付バイクで実現してきた。バイクと旅は僕の世界を広げ、間違いなく僕の人生を豊かにしてくれた。
これまでの旅が実現するまでのストーリーや思い出、実際のバイク旅での出来事、さらに40年間の世の中の変化など。僕の半生とバイク旅を年代と共に振り返りながら、『バイクと旅した40年物語』として語り綴っていきます。
前回は北海道のダートを2000キロ走る旅の出会いや体験によって変わっていった考え方などを綴った。今回はその続きです。
第4回:原付バイクで旅をする理由
日本一周や北海道ダート2000キロの旅は学校や先生は教えてくれない、大切なことを教えてくれた。僕の中で旅はお金や仕事、日々の暮らしよりも大きな存在になっていた。また、長い北海道の旅の後は、もっとスケールの大きな大自然を走ってみたいと思うようになっていた。しかしそんな場所はもう日本にはなかった。
当時、パリダカールラリーに熱中。出場する気はなかったが、アフリカの文化と景色、そこで繰り広げられる人間ドラマが面白く、テレビ放送を食い入るように見ていた。特にアフリカ大陸には強烈な憧れがあった。褐色肌の人々、カラフルな民族衣装、灼熱のサハラ砂漠、舞い上がる砂塵、360度の地平線... そんな場所を走っている自分の姿を想像するとワクワクがとまらなかった。次第に海外を走ってみたいと本気で考えるようになった。
しかし海外旅行の経験もないのに、いきなりアフリカへ行く勇気はない。それでも、やっぱり海外をバイクで走ってみたい。例えばアメリカは? ルート66、グランドキャニオン、ラスベガス、ナイアガラの滝、ニューヨーク、ロサンジェルス...心は惹かれるけど、命の危険を感じるような大自然とはちょっと違う。
オーストラリアはどうか? 当時オーストラリア旅行ブームになり始めていて、カンタス航空のCMがよく流れていた。どこまでも広がる大自然、砂漠、ジャングル、野生動物、南半球、アウトバック、南十字星... 日本の20倍のオーストラリア大陸なら僕の期待に応えてくれるかもしれない。さらに調べ進めるとメインルートでも数百キロもガソリンスタンドがなかったり、1000キロも続くダートルートがあったり、全てが桁外れだった。雑誌や単行本でオーストラリアを旅した人たちの旅行記を読んでいると、いてもたってもいられなくない。自分もこんな景色の中を走ってみたい。よし、決めたオーストラリアへ行こう。
行くとしたらやっぱり250のオフロードバイクかな。ぼんやり思っていた。そんなある日。窓から外を眺めていると原付バイクにふと目が留まった。スピードが遅く他の車から邪魔者扱い。その姿はまるで人間社会の自分に見えたのだ。社会に出て3年も経つと等身大の自分が見えてくる。学生のときは成績が悪くても、自分は特別な才能を秘めているんじゃないか、まだそれが発揮されていないだけ。そんな風に思っていた。しかし社会人になるとそれは幻想であることに気が付く。仕事も大した成果を出せない、凄い才能もない、おまけに見た目もパッとしない。一方、周りを見れば仕事ができる人、頭のいい人、容姿端麗な人がいっぱい。小さくて弱い自分は、まさに車社会の中の原付バイクだった。
それならオーストラリアを原付バイクで走ろうか? 普通の人が大きなバイクでやるなら出来て当たりまえ、もし僕が小さな原付バイクで実現したら、価値があることじゃないか。それに原付バイクでオーストラリア一周なんて話、聞いたことがない。もしできたら、すごいことじゃないか。元々人とは違うことをしたい変わり者、ある意味必然の流れだったのかもしれない。
旅の計画を周りに話すと「原付じゃ無理だ!」「そんな旅にどんなメリットがあるんだ?」と笑った。もちろん「スゴイ」「憧れる!」という友人もたくさんいた。一番心に刺さったのは父親の言葉だった。「そんな旅にどんな意味がある?」「オーストラリアへ行く必要があるのか?」若いころから職人一筋で生きてきた父親に、僕の行動は理解できないようだった。旅は大切なことを教えてくれる、かけがえのない存在、また僕ができる唯一の自己表現でもあった。それでも僕には父親の問いに返す言葉は見つからなかった。僕にもそこにどんな意味があるのか、明確はなかったからだ。それでも人に言われて諦めるのだけは嫌だった。もし諦めたら一生後悔する、それだけは確信していた。
旅資金を貯めるために節約生活が始まった。3年で200万円が目標。昼食は牛丼か立ち食いうどん、勤めていたデザイン事務所の仕事も積極的に残業をした。ほとんど遊びにも行かず貯金。そんな日々は苦しくはなく、むしろ充実していた。3年後に自分はオーストラリアをバイクで旅しているんだと思うと、どんなことも頑張れた。
準備を進めながら50㏄バイクはオーストラリアで買えるのかと疑問が湧いた。ある日某バイクメーカーに電話で問い合わせをした。受話器から強い口調で販売されていないこと。さらに原付バイクでオーストラリアを旅行などできないので絶対にやめるように強く注意をされた。気弱な僕はその言葉に思い切りひるみながらも「できるかどうか、やってみなければわからないじゃないか!」頭の中で反撃した。バイクは結局、丈夫なカブ系エンジン、大型キャリアが標準装備、デザインの面白さなどからホンダのモトラに決めた。船便でオーストラリアへ輸送することにした。
丁度その頃(1986年)「アウトライダー」というツーリングマガジンが創刊された。僕の好みにピッタリな内容で毎月欠かさず読んでいた。原付バイクによるオーストラリアツーリングは実現をした人はいない、もしかしたら誌面に載せてくれるかもしれないと思った僕は、簡単な企画書を書き、編集部へ送った。すると数日後、編集部から一度話を聞きたいと返信が来た。まさかの展開に大興奮。初めての経験に緊張しながら編集部を訪問した。これまでの旅の経歴と写真、オーストラリアの計画を編集長に話すと強く興味を持ってくれ、ぜひ誌面で紹介しようということになった。後日、編集長から撮影用のポジフィルム30本を引き取り。旅計画は思わぬ方向に展開していった。
頑張った甲斐があり、予定より1年早く2年で予定の金額を貯めることができた。1986年末に仕事を辞め、出発は翌年5月に決めた。日本を出る前に、無人のアウトバックを走る度胸をつけたいと考え、モトラで真冬の北海道ツーリングに挑戦。最北端の宗谷岬を目指したが、途中でスパイクタイヤが破損して撤退、2度目もオイルポンプが故障してエンジンが焼き付き。結局、宗谷岬まで行くことはできなかったが、やるべきことをやったという満足感はあった。さらに体力をつけるために甲府から松本まで徒歩旅行をしたり、精神面の準備も怠らなかった。
ついに旅立ちの日が来た。北海道を走っていた時は2年前に海外をバイクで走ることなど想像もしていなかった。英語は一番の苦手だったし、メカも強くない、人より度胸があるわけでもない。特別なものは何も持っていないのにここまでこられたのは、原付バイクでオーストラリア一周に挑戦してみたい!という強い思いに他ならならなかった。
1987年5月25日。成田空港。家族と友人総勢20人に見送られ「男を上げて帰って来るぜ!」意気揚々と出国ゲートをくぐった。初の海外旅行、これからオーストラリアツーリングが始まる、テンションはマックスに達した。しかしそんな気分は飛行機が着陸すると吹き飛んだ。シドニー空港に降り立った瞬間、周りはすべて外国人、聞こえるのは英語で何を話しているのか全く分からない、さらに周りの表記はすべて英語。「自分はとんでもないことを始めてしまった...」と後悔した。それでも前に進むしかない。アウトバックが僕を待っていると自分を奮い立たせた。
実は小学生のローマ字の授業でつまずいて以来、英語が一番苦手な科目だった。ちゃんと勉強をすればいいのだが、一度遅れるとなかなか追いつけないのも事実。途中からは完全に諦めて、どうせ海外なんて一生行くことないし、日本人がから必要ないのさ...と開き直っていた。バカな自分を後悔した。
半信半疑のままバスに乗り込むと、運よくシドニーの中心地、セントラル駅へ来ることができた。ガイドブックを片手に町を歩き回る。目当てのホテルがなかなか見つからないが、英語を話せないので人に尋ねることもできない。また住所表記が○○通り○○番となっているので、通りに出てからかなり遠いこともあった。長々と歩き回りようやく1泊約2000円の安ホテルを見つけた。鍵を受け取り部屋に入り、重い荷物を床に降ろした。ベッドにゴロンと横になる。部屋は狭くて4畳半くらい。部屋に窓はなく暗い、照明は壁の蛍光灯だけ、天井だけはやけに高く感じる。お世辞にもきれいな部屋とは言えないが、これはこれで自分らしい気がした。こんな風にして、僕の世界の旅は始まった。
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