BBB MAGAZINE

  • MotorCycleDays

    2021.10.15 / vol.98

    悪路、病気、盗難を越えて旅は続く「バイクと旅した40年物語」~10~

CREDIT

    • ライター
    • 執筆

    藤原かんいち

    • 撮影

    藤原かんいち

  20歳のとき中型二輪免許を取得。今年60歳になるのでバイクとの付き合いは40年になる。4度の日本一周、2度の世界一周など、そのほとんどの旅を小さな原付バイクで実現してきた。バイクと旅は僕の世界を広げ、間違いなく僕の人生を豊かにしてくれた。
  これまでの旅が実現するまでのストーリーや思い出、実際のバイク旅での出来事、さらに40年間の世の中の変化など。僕の半生とバイク旅を年代と共に振り返りながら、『バイクと旅した40年物語』として語り綴っていきます。
原付バイク、ホンダのゴリラで世界一周を目指し、アフリカの地を踏んだ。サハラ砂漠の真ん中で熱中症に倒れたが、現地の人たちに助けられ何とか復活。その後、カメルーンでは伝染病のマラリアに倒れ、入院。それでも原付バイクの旅は終わらない。

第10回:悪路、病気、盗難を越えて旅は続く

アフリカ7か国目となるガボンは、赤道直下にある小さな国。国土の80%以上が密林ジャングルで、ゴリラやチンパンジーが生息している。入国手続きを終えたのは夕刻。大きな町まで辿り行けず、小さな集落で泊ることになった。村人に確認してからテントを張った方がいいと思い、近くの村人に声をかけた。村人に紹介された中年の男について行くと、民家にたどり着いた。部屋に入ると、ありがたいことに「この家へ泊まっていいぞ」と言ってくれた。メルシーボクー! 親切心に感謝する。

浴室で体を洗っていると男の奥さんらしきおばさんが現れ、僕の体をジロジロ見ながら「水は足りてる?」と聞いてくる。不思議に思いながら「大丈夫です」と応えると、スッといなくなった。隣の商店へ行き店先でジュースを飲んでいると、再びおばちゃんが登場。店で売っている缶詰やパスタを僕のところへ持って来て、お金を払ってくれないかと言ってきた。一瞬え?と思ったが、泊めてもらっていることもあるので、お礼だと思い払うことにした。

変わったおばさんだなぁと思いながら、ベッドで横になった。するとおばちゃん再登場。次は何? と思ったらベッドに入ってきた。へっ? どういうこと? 脳みそがフル回転。そうか、わかったぞ! きっとこれはおばちゃんのベッドなんだ。仕方ない今日だけは一緒に寝ようと、自分を納得させた。ところが、僕の体に手を回してくる。払いのけると再び手をまわしてくる。どういういう意味? もしかしてアバンチュールへの誘い? まさか、でもそれしかない。そこに応えることはできないので、ベッドを飛び出し、床にシュラフを敷きここで寝ると伝えた。おばちゃんは「あらどうして?一緒に楽しみましょう?」と笑っている。逞しきアフリカ女性。それにしても、アフリカはミステリーが多い。

ガボンは一日目からまさかの展開だったが、それ以上に驚いたのが物価高。トイレットペーパー1ロールが日本円にして150円。ガソリンは1リットル220円。土間に水シャワーのボロホテルが3000円もする。日本にいるときは、アフリカは物価が安いイメージだったが、全然違っていた。特に宿代はフトコロに直撃するので、できる限りテントで泊まるようにした。

これが道?
えっ?これが道?どう見ても泥山だけど。アフリカを走っていると目が点になるような道に出会うことがある
ガボンの店で売っていた猿?
ガボンの店で売っていた猿?。ライフルを持った人が仕留めたらしい。買わないか?とすすめられたが断った

8か国目コンゴ共和国はとにかく道が悪かった。深い砂の道がどこまでも続く。サハラ砂漠で砂との闘いは終わったと思っていたので、きつく感じる。それも粒が細かいフカフカの砂なので、対向車が通ると砂が煙のように舞い上がり、息ができなくなった。あまりにスピードが上がらないのでエンジンの調子が悪いのか?と思い、エアクリーナーを開けてみると信じられない量の砂が出てきた。これじゃスピードが出ないはずだよ、と笑った。

コンゴ共和国の首都ブラザビルは大河コンゴ川に沿って広がっていた。ここからフェリーで対岸にあるのがザイール(現コンゴ民主共和国)の首都、キンシャサへ渡るのだが。船で30分足らず。二つの首都がこれほど近いのは世界でも珍しいのではないか。キンシャサに渡るとコレラの予防接種やザンビアのビザ取得など準備を進めた。ザイールはアフリカ屈指の大国で、その大部分が密林ジャングルに覆われている。貧しいためにほとんどが未舗装。奥地に行くとガソリンや食料の確保も難しくなるという。ザイールを縦断した日本人ライダーの情報がないので、もしかしたら自分が最初の日本人になるかもしれない。誇りと不安、期待と恐怖、いろんな感情がごちゃ混ぜになっていた。

中心地から50キロ走ると、道は巨大な穴だらけになった。道の両側に車が作った轍があり、みんなそこを走っている。ところがその轍は砂が深く走りにくい。特にゴリラはタイヤが小さいので砂にハマりまくる。両足を使って漕ぐように砂地を進んで行く。ザイールの旅は始まったばかり、こんな道がどこまで続くのか... 考えると気が重くなった。

地図で見たところキクイトからカナンガまでの800キロが最大の難関だった。その間には小さな集落しかなく、道もかなりの悪路が予想される。走り出すと砂浜のような砂の道が延々と続いていた。しかし、ジャングルで砂に苦しめられるとは夢にも思わなかった。深い砂地に入りタイヤが回らなくなると、車体を押したり引いたりしてバイクを引っ張り出す。そんなことを何度も繰り返す。

ヘトヘトに疲れ果て、ようやく集落に着いた。空地にテントを張っていると人が続々集まってくる。40~50人が、不思議な野生動物を見るような目で僕を見ている。ものすごい量の視線が全身に突き刺さる。確かに、僻地に小さなバイクに乗った東洋人が現れたのだ、注目されても仕方がない。少しすると、村人が椅子を持って来てくれた。腰掛けると英語が話せる人間が現れ、質問が始まった「何人だ?」「一人か?」「どこへ行く?」「名前は?」「歳は?」etc...「空手は?」と聞かれたので、回し蹴りをしながら「アチョーッ!」とブルースリーのマネをすると大爆笑。予想以上の手応えに僕も笑った。これから村人と仲良くなる時は、ブルースリーのモノマネにしよう。

砂地、水たまり、亀裂、がけ崩れ...道は障害物競走のように変化した。集落があると、バイクを見つけた子供が集まってきて「モト! モト!」と大合唱。大喜びで追いかけてくる。まさにアフリカという感じだ。また、道に落ち葉かと思ったら無数の蝶々で、花吹雪のように舞い上がった時は胸が震えるほど感動した。大変だったのは川渡り。船着き場にあるのは丸太をくり抜いて作った小船だけ。ゴリラを載せると大きく揺れ、僕が乗り込むと、さらに大きく揺れ、グンと深く沈んだ。水面ギリギリ、いつ沈んでもおかしくない状態に冷汗が流れた。「お願いだから、沈むなよ~」船の縁を強くつかみ、震えながら何度も祈った。

丸太の船は怖かった。万が一ひっくり返ってバイクが川に沈んだら旅と一緒に僕の人生も終わる
丸太の船は怖かった。万が一ひっくり返ってバイクが川に沈んだら旅と一緒に僕の人生も終わる
木陰を見つけ休憩する。ザイールも後半戦になると、走りやすいダートになりずいぶん楽になった。
木陰を見つけ休憩する。ザイールも後半戦になると、走りやすいダートになりずいぶん楽になった。

ザイール縦断の中間地点。カナンガに着いたときは嬉しかった。野宿の連続で顔も洗えなかったし、食事も缶詰とバナナしか食べていない。カナンガではオンボロだが久しぶりにホテルに泊まることができた。久しぶりの電気、文明の利器が嬉しい。悪路でサスペンションはスカスカになってしまった、どうにかできないかと思い市場へ探しに行った。ガラクタの山にモペットの中古サスペンションを発見。ゴリラに合わせてみると5㎝くらい長いが、ボルトのサイズはピッタリだった。早速買って交換をした。少しヒップアップになったが、走りは安定。これでザイール縦断の後半戦もバッチリだ。

カナンガを出ると、ダートながら格段に走りやすくなった。ルート沿いに町が点在、時々安ホテルにも泊まれるようになり、気分的にはかなり楽になった。ザイールの終盤、コルウェジに入るとついに舗装路になった。

町中でジープに乗った白人青年に声をかけられた。30年前にザイールへ移住したベルギー人で、18歳のビンセットは子供のころからアフリカ暮らし。バイク好きという共通点があることから話が弾んだ。自宅に招かれると、しばらく滞在させてもらうことになった。毎日のようにサラダ、スープ、ステーキなど豪華な食事がテーブルに並ぶ。これまでバナナ、トマト、マニヨック(キャッサバで作ったアフリカの主食)など質素な食事が続いていたので、夢のような光景だった。

ビンセットの家族と一緒に湖へ行ったり、ブッシュを歩いたり、キャンプしたり、楽しい日々を過ごした。ザイールの一角に白人の社会ができていて、一緒に過ごしていると、これまでの当たり前だったアフリカの生活がまるで別世界のように感じた。あまりに居心地がいいので結局8日間もお世話になってしまった。それはまさに過酷だったザイール旅のご褒美のような時間だった。

10か国目ザンビアに入ると時代が10年進んだ。道はセンターラインの引かれたきれいな2車線道路。町は区画整備されてヨーロッパのようだ。スーパーには大抵の物が揃っていて、ハンバーガーショップもある。ザイールでは川で水を浴び、夜はランプの明かりで生活していた。国境ひとつでここまで違うとは。目には見えないけど、国境という高い壁は確実に存在している。日本では経験できない、特別な体験だった。

首都ルサカ。ビザ取得するためにボツワナ・ハイコミッション(領事館的なところ)を訪ねた。提出書類の英文の意味が分からず、一部空欄で出すと、係官が不機嫌そうにペンでチョンチョン印をつけ、投げ返してきた。意味を教えて欲しいとお願いすると、キレ気味にまくしてられる。困っていると申請に来ていた別の人が丁寧に教えてくれ、何とか提出することができた。日本人はアフリカのほとんどの国でビザが必要になる。大使館の対応も千差万別で、ボツワナのような所もあれば、手取り足取り親切にアドバイスしてくれる所もある。たくさん訪ねていると、その対応がその国の国民性を示していることがわかってくる。そんな訳で、ボツワナはちょっと不安になった(笑)

国道沿いの食堂で昼ごはんを食べていると、東洋人の姿が目に留まった。声をかけると日本人だった。日本人に会うのはガボンの日本大使館以来だ。青年海外協力隊員で高校の物理の教師をしている佐々木さん。家が近いということでお邪魔することになった。佐々木さんの厚意で、授業を見学したり、友人(インド人)のパーティに参加したり、人生初のゴルフをしたり、貴重な体験をした。

ジンバブエに入国すると世界3大瀑布のひとつ、ビクトリアフォールを訪ねた。乾季の終わりなので水が少ないというが、ゴーッ!と轟音を響かせて流れる滝はけた違い、豪快さに圧倒された。ナイアガラとイグアスの滝にもぜひ行ってみたい。

当初計画ではここからジンバブエ国内を北上する予定だったが、大人気映画「ミラクル・ワールド ブッシュマン」の舞台、カラハリ砂漠が見たくなりルート変更、ボツワナへ向かった。具体的に訪ねたい場所はなかったので、とりあえずアフリカ地図を広げ、ボツワナの真ん中に行けあるマウンへ行ってみることにした。

ビクトリアフォール
ザンビアとジンバブエの国境にある世界三大瀑布のひとつ「ビクトリアフォール」

ボツワナ北部の町カサネから350㎞南にあるナタへと向かう道はマイナールートで、その間にはガソリンスタンドのある集落がひとつポツンとあるだけ。ひたすらサバンナの道を走り、1日かけてようやくスタンドに到着した。再び走り始めようとすると村人が集まってきて「この道を走るのは危険だ」「象に襲われるぞ!」と警告をしてきた。アフリカを数か月間旅しているが野生動物は1頭も見たことがない。外国人だと思って、からかっているんだなと思い「エレファント!? アチョー! ノープロブレム!」ブルースリーのような回し蹴りで象を吹き飛ばすジェスチャーをすると、みんな大喜び。手を叩きながらゲラゲラ笑った。

ところが、走り始めると巨大な糞が道に落ちていた。牛やヤギのサイズではない。もしかして象? まさかそんなはずは... 急に心配になってきた。しばらく走ると前方に大きな物体が道を横断しているのが見えた。近づくとそれは何と野生の象だった。ある程度の距離まで近づくと、バイクを止め、その姿を眺めた。4頭の象がサバンナを歩いて行く、その姿は優雅で感動的だった。象と僕に間にはフェンスはない。野生のシカとライオンが草原で出会うように、僕は野生の象に出会ったのだ。想像を超えた体験にしばらく僕の興奮は収まらなかった。

ナタを出ると再び砂の道が始まった。どうやらカラハリ砂漠のエリアに入ったらしい。砂の固そうなところを選んで進んで行くが、時々深砂にハンドルを取られ転倒しそうになる。さらに深い砂にハマりそうになると、すぐにスピードダウン、ギアを落とし、アクセルを全開にして抜け出した。砂走行は何度も体験しているので、走り方も上達しているようだ。300キロのダートを3日間で走破、目的のマウンに到着した。

ボツワナのホテル
他国に比べるとボツワナのホテルはエアコンやシャワーなど設備が整っていた
ボツワナのカラハリ砂漠
映画ブッシュマンの影響でやってきたボツワナのカラハリ砂漠。砂漠地帯を外れると目の前に川が現れた

川沿いにあるキャンプ場を見つけ、テントを張った。すると翌日から体調が悪くなり、熱が出てきた。カメルーンの時と同じ症状、どうやらマラリアが再発したらしい。特に脱水症状がひどく、水をいくら飲んでもまた飲みたくなる。とにかく薬を飲んで、後はテントでひたすら横になる。3日すると徐々に熱も下がり動けるようになった。ヒッチハイクで病院へ行ってみると、受付は長蛇の列。ドクターらしき男の白衣は土で汚れ、注射器をおもちゃのように扱っている。しばらく迷ったが、違う病気をもらいそうだと思ったので、受診をせずにそのままキャンプ場へ引き返した。テントで横になりながら平和な日本を思い出した。なぜこんな辛い思いをしなくちゃいけないんだ。体調と共に弱気になっている自分がそこにいた。

再びジンバブエ。首都ハラレはこれまで訪ねたアフリカの首都の中でも一二を争う、大都市だった。近代的な高層ビルが建ち、きれいなデパートやお店が並んでいる。白人の姿も多く、まるでアメリカのようだ(行ったことないけど)。スタンデング式のハンバーガーショップがあったので入って見る。食べていると後方からコインが足元へ転がってきたので、拾い上げて渡した。再び食べ始めると何かがおかしい。そこでカメラバックがなくなっていることに気がついた。振り返ると人がいなくなっている。くそっ、さっきの奴らが盗んだんだ! 慌てて外に出るが姿はどこにもなかった。ちくしょう、やられた。一眼レフカメラと交換レンズ、撮影済みのフィルムまで盗まれてしまった。典型的な手口でやられた自分が悔しい。それにしても、病気の次は盗難とはついていない。長く旅をしていればそんなときもあるさ... 落ち込む自分を慰めた。

針金を使って作ったおもちゃを路上で売っている少年
針金などを使って作ったおもちゃを路上で売っている少年がいた。どこにも手先が器用な人がいる

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