BBB MAGAZINE
CREDIT
-
- ライター
- 執筆
藤原かんいち
-
- 撮影
藤原かんいち
原付バイク・ホンダのゴリラで世界一周を目指す旅。アフリカの地を踏んだ藤原の旅は、サハラ砂漠を縦断、ザイールのジャングルを越え、カラハリ砂漠を抜けてボツワナへ。ところがマウンでマラリア再発、さらに首都ハラレではカメラを盗まれた。悪戦苦闘の原付バイクの旅は続く。
20歳のとき中型二輪免許を取得。今年60歳になるのでバイクとの付き合いは40年になる。4度の日本一周、2度の世界一周など、そのほとんどの旅を小さな原付バイクで実現してきた。バイクと旅は僕の世界を広げ、間違いなく僕の人生を豊かにしてくれた。
これまでの旅が実現するまでのストーリーや思い出、実際のバイク旅での出来事、さらに40年間の世の中の変化など。僕の半生とバイク旅を年代と共に振り返りながら、『バイクと旅した40年物語』として語り綴っていきます。
第11回:ありがとうアフリカ大陸!
ジンバブエの首都ハラレを出発。北に接する国、モザンビークは内戦中。安全のためモザンビークは避け、ザンビア、マラウイ、ダンビア、ケニアを繋いで北上することにした。約1か月ぶりに戻ってきたザンビアの首都ルサカ。前回泊ったYMCAへ行くと、信じられないことが起こっていた。宿泊費が1泊350クワチャから、なんと905クワチャに跳ね上がっていたのだ。こんなことがあっていいのか!? 日本では信じられないことが、普通に起こるのがアフリカだけど、1か月で約3倍!はひどすぎる。ガソリンスタンドへ行くとガソリンも値上がりしたようで、給油機の料金表示の横に"×2"(2倍)と書かれた紙が貼られていた。壮絶なインフレで全て物価が急上昇。ザンビアは大丈夫か?他国ながら心配になった。
ザンビアは足早に駆け抜け、隣国マラウイへ向かった。マラウイは南北に細長く延びるマラウイ湖に沿って広がる国で、面積は北海道と九州を合わせたくらいの大きさ。入国すると農業国らしく畑が広がっていた。農作業用のクワを頭にのせて歩く子供たち、野良仕事をする男衆、道路工事をする人たちなど、働く人の姿が目立つ。バイクを止めると嬉しそうに子供たちが駆け寄ってくる。みんな目がキラキラ輝いている。ザンビアやジンバブエではこういうことが少なかったので、なんだかとても嬉しかった。
マラウイの首都リロングェに着くと、次のタンザニアのビザを取得するため、大使館を探した。ところが、ザンビアのマラウイ大使館では「ある」と言っていた大使館がない。まさかの展開。他でビザを取得できそうなところを訪ねるがどこも取れないという。途方に暮れる。そこで、藁をも掴む思いでタンザニア航空の事務所を訪ねた。すると幸運なことに、ここで書類を作りタンザニアへ航空便で送れば、10日間でビザができるというではないか。やった、良かった。これでタンザニアに行ける。早速書類を作成して、ビザの発給をお願いした。
ビザができるまで10日間もあるので、マラウイの南部をめぐることにする。まずはマラウイ湖の国立公園、ケープマクレアーを目指した。湖沿いにキャンプ場があったのでそこにテントを張った。他にもキャンプ場がいくつあり、どこも白人のツーリストで賑わっていた。久しぶりに市場で米と魚を買ってきて、焚き火で自炊をすることにした。焚き火をするのはもしかしたらオーストラリアの旅以来かもしれない。出来上がりは、イマイチだったが、自分で炊いたごはんは格別な味がした。
夜になると風が吹き始め、かなり強くなった。朝起きると風のせいか、テントの周りにマンゴーがたくさん落ちていた。いまがマンゴーの時期らしく、道端はマンゴー売りだらけ。あまり食べたことがないが、切って食べてみると、マンゴー独特な甘さがありとてもおいしかった。モンキーベイという町へ行くと、偶然、青年海外協力隊員で船舶の教員をしている藤井さんと木内さんに出会った。親しくなり、住居の庭にテントを張らせてもらうことになった。
夕食をご馳走になりながら旅のこと、マラウイのこと、いろんなことを話した。遠い異国で働くことは苦労の連続、旅とは違う重みがあった。翌日、岩場からマラウイ湖を覗くと、蛍光ブルーに輝く熱帯魚がたくさん泳いでいた。初めて見る景色に大興奮。さらに森に入るとハムスターのような小動物がピョンピョン跳ね回り、猿やリスが歩きまわっていた。まさに動物の宝庫、これぞアフリカという感じだった。ふたりと過ごしているとまるで日本にいるよう。おしゃべりをしたりゲームをしたり、心に残る楽しい時間となった。
ブランタイヤーへ向かって走っていると、突然エンジンストップ。ガソリンはたっぷりあるのに、どうして? チェックして行くと、プラスチックのフィルターが半分溶けて柔らかくなっていることがわかった。一体どういういうことだろう? 柔らかくなった原因はわからないが、フィルターの穴が塞がってガソリンが流れなくなっていることはわかった。ガソリンコックを閉じ、フィルターを取り外し持っていた予備のゴムホースに交換。キックするとエンジンはかかった。良かった。これから先はフィルターなしで走ることにする。
予定日にタンザニア航空のオフィスに行くと、ビザがまだ届いていないという。理由を聞くがよくわからない。今週末にはというので、5日待ったが、結局ビザは届かなかった。オフィスの人は「ソーリー、ソーリー」と謝るばかり。仕方ない、遠回りになるが陸路でザンビアのルサカへ戻り、タンザニアのビザを取り、ザンビアからタンザニアへ向かうことにする。一度走った750キロの道を走るのは悔しいが、どうしようもない。3日間かけてルサカに戻り、タンザニア大使館で申請すると、あっけなく、5分でビザは発給された。
世界一周に出て初めての大晦日
1990年12月31日。世界一周に出て初めての大晦日を、タンザニアのミクミという小さな町で迎えることになった。深夜11時過ぎ、日記を書き終えベッドでウトウトしていると、遠くから車のクラクション、人々の歓声が聞こえてきた。どうやら年が明けたらしい。裸電球を眺めながら、こたつに入って紅白歌合戦を見ている、日本の大晦日の景色を思い出した。
国立公園の中を走る道。もしかしたら野生の動物に出会えるかもしれないと思い、周りをキョロキョロ確認しながら走っていると、サバンナのブッシュから、長い首が現れた。キリンだ! メチャクチャ大きい。10頭近くが群れを成し、木の葉を食べている。キリンに会えるとは思わなかったので感動する。さらに進んで行くと道にシマウマが現れた。不思議そうにこっちを見ている。さらに象、シカもいる。これはもうサファリパーク...いや、本物のサファリツーリングだ。興奮しながらバイクを走らせる。
しばらく行くと前方から荷物満載したバイクが現れた。近づくとすぐに日本人だとわかった。スズキDR600でアフリカ縦断中の林さん。アフリカで会う、初めての日本人ライダーだ。バイクを止めて立ち話。このまま別れるのは名残惜しすぎるので、僕が泊った宿へ行き、もっと話をしようということになった。林さんの話から、アフリカを縦断中の日本人ライダーが3人いて、ナイロビで一緒にいたことがわかった。バイクでアフリカを旅している人が4人もいるのか。すごいなぁ。自分ひとりだけかと思っていたので、同志を見つけたようで嬉しかった。林さんとは旅のことから人生論まで、いろんな話をした。ふたりのおしゃべりは深夜になっても尽きることはなかった。
翌日。林さんと固い握手を交わすとそれぞれの方向へ走り出した。タンザニア一番の大都市、ダルエスサラームに到着。古い建物が多く、狭い路地がゴチャゴチャ入り組んでいる。どこかの街と似ているなぁ。そうだ、アルジェリアの首都アルジェと似ているのだ。埃っぽいところもそっくり。ヨーロッパとアラブ世界、インドなどの多文化が融合してできた町だからかもしれない。
悪路を走り続け、10か国目、ケニアの国境に着いた。手続きを終え入国するが、国境に銀行はなく、両替することができない。40キロ先に町にあるようだが、ガソリンがそこまでもつだろうか? 走り出すとすぐにリザーブタンクに。祈るような気持ちで走る。ところが40キロ走っても町が現れない。どいうことだ!? 不安で走っているとようやくガソリンスタンドが現れた。残金25シリング、2リットル給油した。これでモンバサまでは行けるはず。
モンバサまであと少しのところで目の前に大きな川が現れた。どうやらフェリーに乗って対岸のモンバサへ渡るらしい。人がたくさんいるので無料だろうと思いきや、バイクは1シリングだという。1シリングといったら日本円にして5円。ところが今は無一文、どこを探しても1シリングさえ見当たらない。困った、困った。困った。そこで、持っていたボールペンを売ることにする。近くの人に「ボールペンを1シリングで買ってくれませんか?」頼み込むと、あっさり買ってくれた。なんて優しいケニア人、ありがとう。お陰で無事フェリーに乗り、モンバサへ行くことができた。大きなホテルで両替、ようやく現地通貨を手に入れることができた。
モンバサでチェーンとスプロケットを新品に交換。走り出すと新車のように動きがスムーズになった。生まれ変わったゴリラで、ケニアの首都ナイロビを目指す。道は途中から東西ツァボ国立公園へと入って行く。しばらく走ると遠くに大きな山が見えてきた。もしかして、あれがアフリカの最高峰、キリマンジャロか!? すごい、雄大な景色に感動する。眺めていると、もっと近くで見たくなってきた。地図でキリマンジャロ方面へ続く道を見つけたので、そっちの道へ入って行く。
視界がパッと開けると、サバンナの大平原に線を引いたようなダートロードが見えた。さらにその先には、万年雪をのせたキリマンジャロが聳えている。想像を超える雄大な景色、感動しながら走っていると、サバンナの一角に派手なカラーリングの車を見つけた。たくさんの欧米人、その中には東洋人の姿もあった、声をかけると日本人でニッサンのラリーチームだった。サファリラリーのテスト走行中で、この道もラリーコースの一部になっているという。原付バイクで世界一周中だと話すと、日本人スタッフが大歓迎。サンドイッチやあられなど差し入れてくれた。ありがたい。別れてしばらくすると、飛ぶようなスピードのラリーカーが、すぐ近くを走り抜けていった。
キリマンジャロが見たくなり、麓の町までやってきた。近くで見られると思ったが、残念ながら午後から雲が多くなり見えなくなってしまった。偶然見つけたロッジに宿泊、久しぶりに浴びるお湯が気持ち良い。翌朝、起きて外に出ると雲はなくなり、キリマンジャロがクッキリ見えた。富士山より高い山を近くで見たのは初めて。とにかく美しい山で、どれだけ眺めていても飽きることがなかった。ここまで来て本当に良かった。
昨日の道を引き返していると、路肩に大きなトラックが止まっていた。男が僕に手を振っている。バイクを止めると、男がセルスターターが動かなくなったので、押しがけを手伝って欲しいという。困ったときはお互い様。3人で押したが、車が重いせいか勢いがつかない。時々車も通るので、他の人に手伝ってもらおうと言ったが、お金を払わないと手伝ってくれないという。この世の中、どこへ行ってもお金なのか!? 改めてそう思った。そういえば僕も昨日、写真を撮ってもいいか地元の人に聞いたら、お金を払ったら撮らせてやるという感じだったな。数分手伝ってあげるだけでいいのになぁ... しばらくするとマサイ族が2人やってきた。運転手と何やら言葉を交わした後、お金を渡すと、手伝いに加わった。5人で押すとようやくエンジンがかかった。嬉しそうな運転手の顔を見て、手伝ってよかったと心から思った。振り返るとキリマンジャロは恥ずかしそうに雲に隠れていた。
アフリカの旅、最大の目的地ナイロビに到着した。高層ビルが建ち並ぶ、近代的な大都市。久しぶりの大都会なので、ただ走っているだけで緊張した。林さんから教えてもらった青年海外協力隊員の湯浅さん宅を訪ねる。湯浅さんは1987~88年にヤマハのテレネでアフリカを縦断したアフリカツーリングの先輩で、現在は理数科の教師として活動している。バイク旅ということから歓迎してくれ、しばらくお世話になることになった。休日に、日本食レストランへ連れて行ってくれたり、ディスコで一緒に踊ったり、ナイロビの町を案内してくれたり、とても親切にしてくれた。ナイロビには半月以上の長期滞在となったが、湯浅さんのお陰で身も心もリフレッシュすることができた。
当初の計画では、ケニアからエチオピア、スーダン、チャド、ナイジェリア、ニジェール、ブルキナファソ、ダカール...というルートで、サハラ砂漠横断を考えていた。ところが、陸路でエチオピアへ行けないことが判明。さらにスーダンとチャドの内戦が悪化、サハラ砂漠横断は難しいことがわかった。そこでルートをウガンダ、ザイール、中央アフリカ、カメルーン、ナイジェリア、ニジェール、アルジェリアの順で進む、サハラ砂漠再縦断ルートへ変更した。
ウガンダの銀行で50ドル両替するとビックリ、厚さ数センチの札束が返ってきた。一番の高額紙幣が約30円なのだから、当たり前だけど。こんなに分厚い札束を持ったのは生まれて初めて。なんだか大金持ちになった気分、思わず顔がほころんだ。国道を走っていると自転車に大荷物を載せ、汗を光らせながら坂道を登って行くウガンダ人の姿がたくさんあった。汗をかき、体を動かしている姿はとても美しく、いつも機械に頼っている自分が恥ずかしくなった。「頑張って!」日本語で声をかけると、白い歯を見せて笑った。
東アフリカ地域は雨期の入口、ウガンダでは毎日のように雨に降られた。これから向かう、ザイールや中央アフリカも熱帯ジャングル。悪路が多く、雨が続くと走れなくなる道もあるという。そんなタイミングに合わせるように、湾岸戦争が深刻化。アフリカ諸国にも影響が出始め、アルジェリアが国境を閉鎖するという情報も飛び込んできた。マラリアの後遺症で続いている口内炎を考えると、これから病院がほとんどないアフリカの奥地を走ることに大きなリスクを感じる。やめるならいま。アフリカの旅はここまで。ウガンダからケニアのナイロまで引き返ことにした。
その後。バイクはナイロビからフランス・パリへ空送。到着に合わせて僕もパリへ飛んだ。パリにあるホンダにゴリラを預けて、日本へ一時帰国することになった。11か月に及ぶアフリカの旅は、人生10年分くらいの価値のある旅だった。"アフリカの水を飲んだものは必ずアフリカへ帰ってくる"ということわざがあるように、僕もまたアフリカへ帰ってくるに違いない。
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