HISTORY ~時代を彩ったバイクたち~
ホンダ スペイシー125(1995年モデル)の歴史
スペイシー125ストライカー(JF02)/1983年3月(昭和58年)
スムーズかつパワフルな水冷4ストエンジンを搭載。クルマ感覚のデジタルメーター、スポーツ心をくすぐるメーターバイザー、フットブレーキ、そして、二輪初のリトラクタブル式ヘッドライトを採用。さらに、ラジエターの熱を利用した足元へ温風を送るシステムを採用し、「屋根がない」「タイヤが2つ」を除けばまさにクルマと同じような装備がおごられた。1985年には兄貴分のスペイシー250フリーウェイ(MF01)が登場。1987年2月にはJF03型へモデルチェンジし、丸味を帯びたエアロフォルムにデザイン変更。エンジンは水冷のままで、フロントフォークにはアンチダイブ機構を装備。ツートーンカラーの大型シートは750mmの低いシート高で、快適な乗り心地を実現した。大容量インナーボックス、シート下小物入れなどで使い勝手を考慮したが、まだメットインにはなっていない。250ccクラスが皆無だったため「上級」「高級」といったイメージでラインアップしていた。
スペイシー125(JF04)/1995年8月(平成7年)
エンジン、フレーム、外装を一新し、すでに当たり前となっていたメットインスクーターとしてモデルチェンジ。水冷だったエンジンは空冷4ストSOHC単気筒となり、低中速重視の扱いやすい出力特性を実現しつつ、JF03から最高出力、最大トルクの数値は変わらなかった。ワイドレシオのトルクセンサー付きVマチックでスムーズな走行性能を確保し、高剛性フレームと、フロントのボトムリンク式、リアの油圧ユニットスイング式の足回りの組み合わせによってタンデム走行も余裕でこなした。足つき性抜群の大型シートに加え、常識となったフルフェイスも余裕で収納可能なメットインスペース、鍵付きのフロントインナーボックスなども装備。リアブレーキはフットブレーキからハンドブレーキとなった。原付2種クラスではリード90やリード100の方が人気・タマ数ともに上だったが、あらゆる面の「ゆとり」はスペイシー125の方がひとつ格上だ。
- このページは本田技研工業株式会社のご協力を頂き製作しています
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